本日は日本災害医療薬剤師学会設立12周年の記念日です。
十二支が一回りして出発点に戻って来ました。

2006年4月23日(日)、ホテルサンメンバーズ東京新宿コンベンションホールで設立総会を開催し、私が発起人を代表して設立趣意書を読み上げ発会を宣言し、村野宏守氏(現名誉会員)が規約案を読み上げ出席者の同意を得て正式に規約を定め、初代会長に西澤健司氏、その他の役員を選出して正式に産声を上げました。

村野氏の話によると薬剤師の災害医療活動に特化した学会は世界初との事で、SMAPの最大のヒット曲「世界に一つだけの花」ならぬ「世界に一つだけの学会」が設立されたのです。そういうと聞こえは良いのですが、当初は周りからはマニアックな人間の集まりと異端視されていたかもしれません。しかしながら、設立まもなく2007年石川県能登半島地震および新潟県中越沖地震、2008年岩手宮城内陸地震とマスコミを賑わす震災が立て続けに発生したため、業界紙から取材や活動手記の執筆依頼が寄せられ、その記事を目にした方々から多くの問い合わせがありました。元々志を持ちながらどうして良いか判らずにいた方が入会してくれるようになり、会員数も増加傾向を示し始めました。

そして急激な会員増加を齎したのは、やはり2011年の東日本大震災後の事でした。本学会はNPOの助力を得て会員を仙台へ派遣し、現地の方々の支援活動を行いました。その活動に就いて参加者からの報告を時々刻々本学会のHPに掲載したため、問い合わせのメールが日々届くようになり、ネット上では本学会の行動を称賛する書き込みが多く見られました。迅速な派遣の結果として先遣隊の役割を果たしたことになりました。

さて、設立のきっかけですが、2004年の新潟県中越地震とスマトラ沖地震大津波で、中越地震には山岸美恵子氏および増田道雄氏(共に現副会長)、村野氏と私が現地へ行き、スマトラ沖地震大津波には西澤会長、渡邉暁洋氏(現副会長)、加藤あゆみ氏(現理事)、村野氏が日本国際緊急援助隊の一員として派遣され、活動しました。

そうした災害に対しての医療ボランティア活動について嘗ては医師と看護師が中心でしたが、中越地震には延べ1,071名の薬剤師が全国から集結し、避難所等を巡回し、医薬品の配布や衛生状態の維持向上に活動しました。また、スマトラ沖地震大津波の救援にはJICAのJapan Disaster Relief医療チームの薬剤師も4か国の災害現場に赴き延べ6,000名もの被災者救援を行い、国際貢献に寄与しました。このようにボランティア活動に関心を持つ薬剤師が増えつつあるこの時期に、第38回日本薬剤師会学術大会が広島で開催され、被爆地広島ならではの特色として大会史上初めて<災害と薬剤師>分科会が設けられ、<災害医療から始まる薬剤師改革>をテーマにシンポジウムが開催され、本学会の発起人達がコーディネーター兼座長やシンポジストを務めました。大会前日にパキスタン大地震が発生したこともあり関心を集め、3番目に大きい会場がほぼ満席状態で150分の最長のシンポジウムが終了しました。

その2週間後に新潟県薬剤師会主催の中越地震一周年集会シンポジウムが新潟県長岡市で開催され、全国から約100名の薬剤師が集結し、災害医療のネットワーク作りやボランティア活動の重要性等について二日間に亘る白熱した討論が行われました。

その貴重な討論、提案を更に推進するために、災害医療の重要性を啓発し、薬剤師のボランティア意識と知識技能の向上、地域の安心安全に役立つ薬剤師の育成システムが不可欠であると考え、「日本災害医療薬剤師学会」の設立を決意、規約案も作成し、12年前の今日、設立総会を開催することとなりました。

これまでの皆様の御支援に心より御礼申し上げます。そして今後も何卒宜しくお願い致します。

2018年4月23日

編集委員会担当 副会長 多田 治